please re-run as root via sudo

久しぶりに Rstudio を使いました。新しいパッケージをインストールしようとすると,please re-run as root via sudo といったメッセージが表示されます。そういえば,最近,Xcode のバージョンを上げました。アプリケーションを使用するための同意書にオーケーしていません。もしかしたら,それが原因かなと思い,Xcode を起動し,同意書にオーケーすると簡単にインストールできなかったパッケージがインストールされました。

LEO 今井さん

LEO 今井さんのインタビュー記事を読んで,なるほどなと思う。

 

www.cinra.net

 

作品を作るときにひたすら自分のなかに閉じこもって,自分の世界を広げようとするその一方で,作品は日常生活のなかでしか生まれないという言葉がありました。ひとりになってひとつのことをつきつめようとする一方で,他人との間で生きて行くために必要なこともしていかないといけない。ひとりでいることと他人といること。突き詰めたいことをすることと,しなければいけないことをすること。どちらか一方ではオリジナリティのある作品は生まれないということなのでしょう。

 

姿勢が悪い

私は姿勢が悪く,自分の構えている映像をみて,ぞっとしたことがあります。背中が曲がっていて,ちょうど,肩甲骨のあたりが丸まってしまっています。この部分はまっすぐでないとすこしも美しくありません。なぜ,この部分が曲がると美しくないのでしょうか。おそらく,ここが曲がっていると,頭が前に向かってしまうし,身体全体も前屈みになってしまうように思います。それで,打とう打とうとしている様子がみて取れて,美しく感じないのだろうと思います。

まずしっかり構えなさいと指導をいただいたことがあります。もちろん私は構えているつもりなのですが,あきらかに「つもり」であって,だいぶんひどい構えなんだろうなと思います。

まずは背中をまっすぐにして,身体から力を抜く。どうすれば力が抜けるか。これについてはよくよく考えてみたいと思います。

[ 剣道 ] 力を抜く

(書きかけ)

どもたちが打ち込んでいる様子を見ていて,すごいと感心する点は,力が入っていない点です。竹刀を構えているとき,振り上げるとき,打ち込むとき,ちからが入っている様子がありません。

一方,成人が打ち込んでいる様子を見ていると,肩に力が入っていることがよくわかります。肩に力が入っていると,肩があまり動きませんし,肩が動かないと肘が動かないように思います。肩をしっかり動かして,おおきくふりかぶって,振り下ろすと美しく見えるように思います。肩をしっかり動かして,力を必要以上にいれずに肩をしっかり動かす。一体,どうすればそのようなことができるのでしょう。そうそのままやればいいじゃないか。そう,そのまま,頭でわかっているとおりにやればいい。けれども,それができていない。できているかどうかもわからない。

一体,どうすれば,子どもたちのように力を抜いて打つことができるのでしょう。私自身,自分が打ち込んでいるときの映像をみてみると,そのあまりのぎこちなさに目をそむけてしまいそうになります。背中が丸まっていて,前傾姿勢になっていて,打とう打とうと体全体にちからがはいっている。打ち込みのときだけではなく,昨日 (02/23/14) などは形の稽古をしているときにも力が入りすぎていると指導を受けました。そこまで力がはいっているようにみえるのかとがっかりしました。

力を入れている意識はないのですが,もちろん必要以上にという意味でですが,他者からは力がはいっているようにみえるようです。これはそう見えるだけではなく,たぶん,本当に力がはいっているのでしょう。そうでなければ,力がはいっているようにみえるはずがありません。問題は,自分は力を抜いているつもりなのに,ひとからみると力がすごくはいっているという点です。自分ではまったく気づいていないという点が大問題です。それに気づく,あるいはそれを指摘していただくというのはたいへんありがたいことです。

なぜ,脱力できないのか。少なくとも3つ考えることができます。

仮説1:非力説。力がはいっているのはもっている力を目一杯使っているようにみえるため。非力なため竹刀をもつ,竹刀をふりあげる,そして振り下ろすという動作をもっている力を目一杯使わないとしとおすことができない。そのため,力がはいっているようにみえるのではないか。

仮説2:発声説。やーっと大きな声を出すようにしていますが,大きな声を出すと上半身特に,両腕に力が入るのがわかります。他のひとの発声の様子をみていると,発声すると顔面が前に出る場合があり,その場合,背中が曲がっています。発声の仕方がまちがっていると,よけいな力が入ったりするのではないか。わたしが妙に力んでいるのは発声の仕方に問題があるのではないか。

仮説3:未経験説:力がはいっていない状態とはどういう状態か理解していないために,力を抜けと言われても,どうしていいかわからないのではないか。

仮説2の発声説は声を出しているときに,確かに力んでいるという自覚があります。しかしながら,声を出さないわけにはいかないので,ここは意識的に声を出しているときは,下腹部に力を入れるなど,力を入れる部分を腕や上半身以外のところにもっていくようしてみたいと思います。

仮説3はたいへん興味ふかい考え方です。たしかしにわたしはあまり脱力している感覚がなく,気づくと奥歯をぎゅっと噛みしめていることが多いです。背中も痛くなりますし。普段から脱力を意識して,できるだけ力を入れないで生活してみることが必要だと思っています。脱力している状態を十分に知らない限り,脱力などできない。それはそうだと思います。

最後の仮説1ですが,これも十分ありうることです。剣道を再開してまだ2ヶ月しかたっていません。おそらく,剣道をするための筋力が十分な状態に戻っていないのでしょう。なにしろ,30年近くしていないわけですから,剣道をするための筋力などもうなにものこっていないと考えたほうがよいでしょう。最初は体幹を鍛える運動をしてみます。

上の3つそれぞれを意識しながら,何ヶ月かあるいは何年か剣道を続けているといつか脱力した状態になっているのではと期待しています。

IP マスカレード

puppy linux で IP マスカレードを設定してたのですが,メモをしっかりとっていないので,設定がなくなるたびに困ります。

 

ネットワークカードは2枚あり,1枚が外へ向かうカードで eth0,もう1枚がうちへ向かうカードで eth1 です。

間合いについて

道を30年ぶりくらいに再開して、最初に稽古してくださったのが七段の先生でした。先生に対して構えてみると、なんとも妙な感じで、気でおさえこまれるような不思議な感覚がありました。打とうと思っても、なんだか身体が動かないのです。私のような初心者が間合いなど考えたり、間合いの攻防などしてても仕方がないという思いがあったので、とにかく大きな気合を出して、しっかりと構えたら、思い切って打ってみようとえいやと面を打ち込んでみました。

すると、なんともいえない圧力を感じて腰が引けた打ちになりました。自分でもわかるほどの前かがみになってしまいました。先生の気合のせいかと思っていましたが、先生によれば、そうではなく、何も考えずに打とうとするからそうなるんだということでした。

先生のおはなしによれば、間合いには触刃の間合いと、一刀一足の間合い、それに近間の間合いがあって、あなたはそれらの間合いの外にある遠間から何も考えずに打ってくる、簡単にいうと無駄打ちをしている、あなたは背が高いのだから、そんな遠くから打たなくても一刀一足や近間から面を打てば当たる、じゃあいつ打つかといったら一刀一足や近間の間合いで相手が動いたときに打つようにしましょうということでした。今、改めて考えてみると、私には前かがみになる癖があるので、その癖が出にくい間合いというのは近間であって、変な打ち方をするくらいならば近間で打てというはなしではなかろうかと思えます。

先生との稽古では近間で先生に動きがあったら打つという稽古をその後行いました。動きがあるというのは、相手が打とうとしているという意味でしょうか。たぶんそうだと考えて、先生がすこしでも動かれたら、打ち込んでいきました。私の現時点の目標をこんなふうにいうことができると思います。「近間に入って相手が打とうとしたら、こちらは面を打つ。このときの面打ちを強く、正しく、美しく打つこと」。

実際にこんなある意味芸術的なことがわたしにできるのか、他の先生と地稽古のときに試してみました。近間に入って、相手が動くと、こちらは面を打つ。相手が面を打ってくると、互いに面の打ち合いになります。このとき、不思議なことに、相手の面は私の面に当たりません。同様に私の面も相手の面を当たりません。どちらの面もあたりません。何度も試してみましたが、どちらの面も当たらない。

なぜ当たらないのか。おそらく、竹刀の先が相手の中心線にないことがひとつ、もうひとつは竹刀をまっすぐふりあげて、まっすぐ振り下ろしていないことがふたつめ。いずれかができていなか、どちらもできていないためにこのようなことが起きるのでしょう。

今度、機会があれば、とにかく、近間で中心線に竹刀を置いて、相手が打つときに、まっすぐ振り上げることだけ考えてみます。まっすぐ振り上げたら、まっすぐ振り下ろすしかないので、しっかり構えて、しっかり振り上げるまでだけを考えてみます。

PLOS ONE: A Critical Interpersonal Distance Switches between Two Coordination Modes in Kendo Matches

前かがみになることについて

稽古をお願いした方と稽古後にお話ができました。

姿勢など問題点はありませんかと尋ねますと、打つときに前かがみになるとの指摘をいただきました。前かがみにならないためには、例えば、打ち込むときに、左足で蹴って、右足で踏み込んだ状態で停止するような動作の練習をすればよいのではというアドバイスをもらいました。

 前かがみになるくせは前にも別の先生から指摘を受けていて、打ち込んでいるときに前かがみになっている、それは間合いを考えずに打ち込んでいるから、そうなるんだということでした。遠い間合いから、打とうとすると身体がついていかずに前かがみになるということです。

 昼休みに竹刀をもって体育館に行きました。鏡の前で、正面うちの練習をしてみました。左足で蹴りだしながら、腰から前に進むよう意識しながら面をうって、ふみだした右足が着地すると動作を停止させます。何度かすると、右足の付け根、おしりのしたの筋肉、半腱様筋が痛くなりました。半腱様筋は膝を曲げたり、足を前に出したりといった動作にかかわる筋肉なので、このような動作を行うことで、この筋肉が痛くなるのは当然といえば当然です。問題は数回しか動作を繰り返していないのに、この筋肉が痛くなるのはなぜかということです。

 そういえば、別の先生に「もっと足をあげろ」と正面打ちをしているときに指摘をいただきました。右足をあげるのには半腱様筋が必要なので、普段から私はこの半腱様筋をあまり使っておらず、そのためすこし使うと痛くなるのではと考えています。たしかに以前から鏡のまえであれこれ身体の使い方を試しているときに、足をあげると上体が前に傾かないで、(私なりに)きれいに正面うちができることに気づいていました。ということは、上体が前に突っ込まないようにするためには、右足を上げるように気をつけながら、打ち込んでいって、本当にそのような動作ができているかどうかは半腱様筋の痛みで確認すればよいことになります。