間合いについて

道を30年ぶりくらいに再開して、最初に稽古してくださったのが七段の先生でした。先生に対して構えてみると、なんとも妙な感じで、気でおさえこまれるような不思議な感覚がありました。打とうと思っても、なんだか身体が動かないのです。私のような初心者が間合いなど考えたり、間合いの攻防などしてても仕方がないという思いがあったので、とにかく大きな気合を出して、しっかりと構えたら、思い切って打ってみようとえいやと面を打ち込んでみました。

すると、なんともいえない圧力を感じて腰が引けた打ちになりました。自分でもわかるほどの前かがみになってしまいました。先生の気合のせいかと思っていましたが、先生によれば、そうではなく、何も考えずに打とうとするからそうなるんだということでした。

先生のおはなしによれば、間合いには触刃の間合いと、一刀一足の間合い、それに近間の間合いがあって、あなたはそれらの間合いの外にある遠間から何も考えずに打ってくる、簡単にいうと無駄打ちをしている、あなたは背が高いのだから、そんな遠くから打たなくても一刀一足や近間から面を打てば当たる、じゃあいつ打つかといったら一刀一足や近間の間合いで相手が動いたときに打つようにしましょうということでした。今、改めて考えてみると、私には前かがみになる癖があるので、その癖が出にくい間合いというのは近間であって、変な打ち方をするくらいならば近間で打てというはなしではなかろうかと思えます。

先生との稽古では近間で先生に動きがあったら打つという稽古をその後行いました。動きがあるというのは、相手が打とうとしているという意味でしょうか。たぶんそうだと考えて、先生がすこしでも動かれたら、打ち込んでいきました。私の現時点の目標をこんなふうにいうことができると思います。「近間に入って相手が打とうとしたら、こちらは面を打つ。このときの面打ちを強く、正しく、美しく打つこと」。

実際にこんなある意味芸術的なことがわたしにできるのか、他の先生と地稽古のときに試してみました。近間に入って、相手が動くと、こちらは面を打つ。相手が面を打ってくると、互いに面の打ち合いになります。このとき、不思議なことに、相手の面は私の面に当たりません。同様に私の面も相手の面を当たりません。どちらの面もあたりません。何度も試してみましたが、どちらの面も当たらない。

なぜ当たらないのか。おそらく、竹刀の先が相手の中心線にないことがひとつ、もうひとつは竹刀をまっすぐふりあげて、まっすぐ振り下ろしていないことがふたつめ。いずれかができていなか、どちらもできていないためにこのようなことが起きるのでしょう。

今度、機会があれば、とにかく、近間で中心線に竹刀を置いて、相手が打つときに、まっすぐ振り上げることだけ考えてみます。まっすぐ振り上げたら、まっすぐ振り下ろすしかないので、しっかり構えて、しっかり振り上げるまでだけを考えてみます。

PLOS ONE: A Critical Interpersonal Distance Switches between Two Coordination Modes in Kendo Matches